2024年11月1日(金)〜4日(月)、マガレンジャーの中高生5人が3泊4日で大阪へ行ってきました!
訪問先のアトリエMayさんから、ヨシから作られたこんな素敵なお土産までいただきました。
ヨシふきん、ヨシ紙の一筆箋(越前和紙とヨシ紙の両方が入っています)、ヨシ箸(ヨシ繊維を樹脂に入れ込んで成形しています)。
ありがとうございます!!
さて、参加した隊員が、アトリエMayさんを訪問した報告を作ってくれたので、以下の通りupします!
鵜殿ヨシ原訪問の様子は、別のメンバーが現在執筆中、完成が待たれます。
※以下、隊員の原文を少し修正し、注釈をつけています。
11月1日〜4日の日程で大阪へ視察見学に行ってきました。
参加したのは、自然戦隊マガレンジャーの中高生隊員5人と副隊長、美唄市生活環境課環境係の松原さんの合計7人です。
視察の目的は、ヨシで産業を起こしたヨシ繊維工場と、ヨシ原から地元のヨシを活用したモノづくりを学ぶことです。
※2日に淀川鵜殿ヨシ原、3日に「アトリエMay」を視察見学する予定でしたが、台風による大雨の影響でどちらも3日に行いました。
アトリエMayに学ぶヨシの活用方法!!
アトリエMayでは、地元の淀川鵜殿のヨシを利用し、地元の特産品とかけ合わせ、商品化を行なったり、地域の特色をデザイン化しています。
今回、私たちは、実際にヨシが加工される過程を見学、体験させてもらうことができました。
ヨシを細かく砕き繊維状にして紙にするという過程は私たちも行なっていることですが、アトリエMayさんでは、繊維状にする時、「長繊維」「短繊維」「その他残ったもの」という三つに分類し、それぞれ紙、糸、農家さんが使う堆肥の材料として、加工・利用していました(※マガレンジャーのヨシ紙作りは浸水・破砕・牛乳パックパルプと混合、と物理的な加工しかしていませんが、アトリエMayさんのヨシ繊維づくりは、化学処理も加えてヨシを線維化しています。ヨシは自然界でも分解されにくく、繊維を取るにはアルカリ処理が必須となります)。
他にも紙だけでなく、靴下、ベビーシューズ、照明もヨシを利用して商品化していました。
さらに驚いたことは、私たちがヨシを加工する際は利用することのない葉の部分を、お茶、クッキーなどの食品加工に利用するということです。
このようにヨシの活用方法の可能性を知ることができました。
また、ただヨシを使い、商品を作るというだけでなく、地域との掛け合わせや産業とすることで、ヨシを知ってもらうだけでなく、地域デザインの発想、観光としての美唄の良さを発信することにも繋がります。
ここから先は、マガレンジャー隊員たちの報告に、副隊長から少し付け加えさせていただきます。
アトリエMayさんは、ヨシから繊維をとって、紙や糸などに製品化し、地元の資源を活用して地域を活性化させる事業をされています。
原料となるヨシは、大阪を流れる淀川の鵜殿で刈り取られています。
ヨシは、ほんの数十年前まではよしずや茅葺屋根の材料として使われ、人の暮らしに馴染みがあるものでした。
とりわけ、雅楽で使われる楽器「篳篥(ひちりき)」のリードにあたる廬舌(ろぜつ)には、古来より鵜殿のヨシだけが使われてきました。
宮島沼のヨシは背丈が3mを超えますが、鵜殿のそれはもっと大きく、背丈は4~5mにもなり、茎(稈)は通常のヨシよりずっと太く、指では簡単に押しつぶせないくらいしっかりしています。
確かに、一般的なヨシだと篳篥の廬舌を作るには、細くて脆弱でちょっと向いていません。
人の暮らしに馴染み深かったヨシですが、近年、よしずやすだれの材料は、安価な海外産や樹脂製のものにとって変わり、いや、よしずを見る機会すらめっきり減ってしまいました。茅葺き屋根などは、もっと稀少なものとなりました。
ヨシ原に人の手が入ることがなくなると新芽の萌出が進まず、また、外来種やつる性植物の侵入、水位の低下など河川環境の悪化が進み、一面に広がっていたヨシ原は衰退の一途を辿らざるを得なくなりました。
特に、コロナ禍のためヨシ原焼きを中止していた間に、オオブタクサなどの外来種やカナムグラなどつる性植物の種子がヨシ原に広がり、篳篥のリードに使えるヨシの群落が9割方減少してしまったとのことです。
この日は、鵜殿ヨシ原の入会権(いりあいけん)を持つ地元の上牧実行組合の木村和男さんにご案内いただきました。
カナムグラは在来種ですが、勢いの弱まったヨシに絡みつき押し倒して一面に広がってしまいます。
これはヨシ原本来の植物同士のバランスが崩れてしまっている、といった状態でしょうか。
しかし、オオブタクサは樹木のように背丈が大きく茎がかたく、カナムグラは茎にトゲがあるので、除去作業は相当骨が折れる仕事となっています。
鵜殿のヨシ原がなくなってしまうと、ヨシ原を利用する生物や、地域の原風景、雅楽という日本が誇る文化遺産までもが消えてしまうことになります。
鵜殿のヨシを使ったモノづくりは、地域資源を活用して地元の産業を創出すると同時に、ヨシ原と伝統文化を守ることにも繋がっているのです。
▪️ヨシ紙と地域ブランド
「くらわんか」という名のお酒。
江戸時代、淀川を行き来していた三十石船の乗客に、威勢のいい(ガラの悪い?)呼び声で「酒喰らわんか、もち喰らわんか」と昼夜問わず寄ってきて酒や餅などを売っていた(売りつけていた?)小舟「くらわんか舟」は、枚方宿の名物でした。
くらわんか舟で売っていた「くらわんか酒」は、地元で普通に食べられていた米を醸したような、気軽に楽しめるお酒だったことと思われます。
今は枚方市内にあった酒蔵は全てなくなってしまいましたが、枚方産の米ヒノヒカリ(大阪府推奨米です)を使って、交野の酒蔵山野酒造さんが醸し、三十石舟で愛飲されていた「くらわんか酒」を淀川ブランドとして復刻されました。
もちろん、ラベルには、淀川のヨシから作られた紙が使われています!
今回の訪問先交野は、奇しくも副隊長の生まれ育ったまちでもあります。
遠く離れた故郷で、このような取り組みが行われていることに驚き、嬉しくなりました。
地元のものを使ったモノづくりが地域ブランドを創出、地域の活性化に繋げる...宮島沼、美唄でもそのような取り組みができれば、と強く思った旅になりました。
Comments